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本を書く医師 Topチーズの穴が事故を生む ~患者安全学 4~

   
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チーズの穴が事故を生む ~患者安全学 4~


 以前は医療事故というと、医療従事者の不注意や怠慢、未熟な技術、もしくは不勉強が原因だという考え方が一般的でした。そのため安全に関するセミナーへの出席を奨励したり、安全標語を院内に掲示したりすることで医療従事者を 「啓蒙」 しようという取り組みが行われましたが、目に見えて成果が上がることはありませんでした。

 それは、「犯人探しの罠 ~患者安全学 3~」に書いたように、医学の進歩に伴って医療システムの複雑化、専門化が進む中で、事故の原因もまた様変わりしているからです。

 一人の人間の一つの失敗という単純な要因ではなく、多種多様な要因の複合的な結果として事故が起きるようになっています。例えば医師が薬剤を処方し、薬剤師が調剤して病棟に届け、看護師が患者に配布し、医師か看護師が患者に投与するという一連の流れの中で 「何か」 が起きたとしても、それだけで患者さんに被害が発生するわけではありません。
               
 それ以降の複数の段階でこの異常が見逃され、修正されなかった場合に被害が起きるのです。この原理を分かりやすく示した有名なモデルが 「スイスチーズモデル」 です。

 イラストによく出てくる、穴がたくさん開いたチーズを思い浮かべてください。このチーズを薄く切ると、さまざまな位置に穴の開いたスライスができます。このばらばらのスライスを適当にかき集めて重ね合わせたのがこのモデルです。重ねたスライスの固まりを通して向こうを見ることができるのはどんな時でしょう。チーズの穴が偶然同じ位置に重なった時だけですね。

 このモデルではチーズを医療システムに見立て、開いた穴をシステムの欠陥、つまり何か失敗や予期せぬことが起きた場合に破れてしまう防御の弱い部分と考えます。具体的には医療従事者の行動、患者さんの行動、医療機器、院内環境などに潜むさまざまな問題に相当します。

 従ってチーズの穴が重なって反対側まで穴が通じた状態は、何か問題が起きた場合にその影響がチーズを貫通して患者さんの身に実際に危害を及ぼすことを意味します。

 そんな中で最後のスライス、つまり最終的に患者さんに医療を実施する医療従事者が全力を尽くしたとしても、そこに至るまでの穴がすべてつながってしまえば最後のスライスには大きな圧力がかかり、簡単に突破されてしまうでしょう。しかもこの穴ははっきり目に見えるとは限りません。

 例えばコミュニケーションの問題や医療従事者の疲労などはそもそも目に見えませんし、特別な状況、例えば特定の曜日にだけやってくる外来者が運ぶウィルスなど、気付きにくい問題もあります。

 では事故の発生を防ぐにはどうしたらよいでしょうか。基本は一つずつ穴を見つけて塞ぐか小さくし、事故を防ぐための二重三重の仕組みを作るということです。これには直ぐできるものもあれば、一朝一夕にはできないものもあるでしょう。

 例えば手術中の麻酔で、患者さんに酸素を与えようとして誤って亜酸化窒素、いわゆる笑気ガスを与えたことで不幸にして患者さんが亡くなるという事故は以前は決して少なくありませんでした。
          
 しかし酸素を投与するためのコネクターの形状を変えて亜酸化窒素のチューブに接続できないようにするだけで、間違いを完全に防止できることが分かりました。これはコロンブスの卵と言うよりは、なぜそれまで誰も気付かなかったのかというような簡単な解決策です。

 その一方でチーム医療の中で特に重要になる医療従事者と患者さん、医療従事者と医療従事者の間の正確なコミュニケーションを実現するには、医療文化、そしてシステム全体の抜本的な変革を通じて旧式の上下関係や過度の遠慮などを取り除かねばならず、数年どころか数十年単位で努力しても簡単には実現できないでしょう。

 さらに現実には時間や資金、人的資源の制約も加わりますから、すべての穴を塞ごうとすること自体、掛け声倒れに終わりかねません。

 しかしそうであればこそ、場当たり的に予防策を講じるのではなく、客観的なデータに基づいて優先順位を付けた上で予防策を計画的に実行する 「患者安全学に基づく科学の目」 が不可欠なのです。


 続きは 「患者さんにしかできないこと ~患者安全学 5~」 をご覧ください。