「本を書く医師」が医学情報をわかりやすく伝えます



 超訳 養生訓へのリンク
現代に生きる養生哲学書 健康が幸福の基盤になる


 日本人の「遺伝子」へのリンク
病気の遺伝子を封じ込め 健康な遺伝子を作るには


 日本人の病気と食の歴史へのリンク
健康長寿を目指し続けた 日本人1万年の集合知


 胃腸を最速で強くするへのリンク
めくるめく消化管の世界 胃腸を知って健康に!


 長寿の習慣へのリンク
健康長寿は自分で作る  百活は「4つの習慣」から


 内臓脂肪を最速で落とすへのリンク
おなかの脂肪は落とせる!結果の出る減量法


 日本人の健康法へのリンク
もう騙されない!    健康情報の見分けかた


 日本人の体質へのリンク
Amazon本総合1位!  日本人のための健康法は



本を書く医師 Top心は体のどこにあるのですか




心は体のどこにあるのですか


 「心は体のどこにあるのですか」。こう質問されたら、どう答えますか。反射的に左胸に手を当てて、「ここです」と答える人が多いかもしれません。

 古代においても、精神(心)は心臓にあるという考え方が一般的でした。紀元前4世紀になって、ヒポクラテス派の医師らが、精神(心)は脳にあると主張しましたが、その後も、いや、心臓にあるはずだ、という主張がやむことはありませんでした。

 確かに、生きている間だけ心臓の鼓動が聞こえ、感情の変化とともに鼓動も変わり、死ぬと音が聞こえなくなるわけですから、人類が心臓を生命の象徴と考えてきたのは当然かもしれません。
           
 しかし、実際の心臓は、血液を全身に送り出すための分厚い筋肉の固まりで、あまりロマンチックな臓器ではありません。それに考えてみてください。心臓に障害があったり心臓病になったりしても、心がおかしくなってしまうことはないわけです。

 もちろん、現在では、精神(心)は脳にあるというのが常識です。実際に、脳の病気で認知症に似た症状が起こったり、事故や病気で脳の一部を損なったために感情を失ったりすることは珍しくありません。

 しかし、心臓移植を受けた人の性格が変わり、別人のようになってしまった、という話を聞いたことはありませんか。何千件もの心臓移植の中で数例程度という比率ではありますが、心臓移植以降、すっかり人格が変わったとか、死亡した心臓提供者が新しい肉体を得て蘇ったかと思えるほど行動までそっくりになった、という報告があります。

 もちろん、それまで心臓病のせいで食欲がなかった患者が、心臓移植によって健康を取り戻し、肉をもりもり食べてスポーツを楽しむということはあるでしょう。また、提供者の個人的な情報についても、麻酔をかけられているとはいえ、手術中に医師らが口にした内容を無意識に記憶した可能性はあります。

 また、米国では、以前は移植を受けた患者が、提供者の遺族や関係者と接触するのを固く禁止していましたが、現在では文通したり、双方の了解があれば面会したりできるようになっています。提供者に関する情報を知っていてもおかしくないのです。
    
 ただ、これらの報告の大部分は、こんなことでは説明がつかない、もっと根本的な変化について記載しています。原因はわかっていません。しかし仮説はいくつかあります。

 1つは「遺伝子」説です。心臓移植であれば、移植した心臓の細胞に含まれる遺伝子(DNA)も同時に移植されますが、遺伝子には心臓だけでなく脳を含めた全身の遺伝情報が含まれているので、それにより臓器提供者の影響を受けるのではないか、という考え方です。

 これは、医学的にみるとかなり苦しい説明です。もし、この説が正しいなら、血液の「移植」である輸血でも同じような報告がないとおかしいことになります。血液にも微量ながら遺伝子が入っているからです。

 もう1つ、最近話題なのが「小さな脳」説です。心臓は脳の命令を受けて動いていると考えられていましたが、心臓の神経細胞には、内在性心臓神経細胞(ICN)システムという、独自に心臓を動かす能力があることがわかりました。これは生命維持が脅かされたときに、脳の指令を待たずに心拍や血圧を上昇させて、危機に対処するためのしくみです。

 このことから、ICNシステムは小さな脳で、ここに個人の記憶が保存されているのではないかという説が生まれました。しかしこの説については、システムを発見した研究者本人が、「ICNシステムと記憶の関係については仮説にすぎない」 と釘を刺しています。
            
 そしてもう1つが 「同一化」 説です。同一化とは、心理学の用語で、自分にとって重要な人の考え方や行動の仕方を自分の中に取り入れ、無意識のうちに同じような傾向を示すことを指します。あくまで無意識の行動なので、憧れのスターのしぐさを意図的に真似るのとは全く異なります。

 移植を受けた人にとって重要な人は、もちろん、心臓提供者です。しかし、それは単なる感謝ではありません。移植を受けた人は、提供者の死と引き換えに自分が生き延びたように感じ、罪の意識に苦しむ場合が多いことが調査によりわかっています。

 激しい葛藤に襲われながら、提供者の分も生きて行くのが恩返しであり、罪滅ぼしだと自分に繰返し言い聞かせる日々が続きます。この 「提供者とともに生きて行く」 という心理が、同一化を生みやすいのは確かでしょう。

 それと同時に、心臓移植がこれほどまでに感情を揺すぶるということ自体が、心臓こそが生命、心であるという観念が、今も私たちに深く刻み込まれていることのあかしであるように思えてなりません。